還暦Gちゃんブログ

「ひとを勇気づける・ひとが元気になる」を発信するブログ

「大晦日の緊急連絡」末期がんの叔父を甥である私がサポートしていく記録 その㉟

おはようございます!魔太郎です。

末期がんの叔父を甥である私がサポートしていく様子を、記録も兼ねて発信しています。

末期がんの叔父を甥である私がサポートしていく記録:その①「突然の連絡」 - 還暦Gちゃんブログ (gblog60.com)

35回目は「大晦日の緊急連絡」です。

昨年の私の仕事の御用納めは12月27日(金)でした。

なので、仕事を終えてから緩和ケア施設を訪問。

叔父さんは、食事が徐々に食べれなくなっていました。

冷蔵庫に入れておいた吸うタイプのゼリーも減っていません。

ただ普通に会話が出来ていたので、年末年始は

穏やかに過ごせるといいな

と、考えていました。

ところがです。

12月31日の大晦日昼前のことです。

古女房とお昼ごはんを食べていたときのこと。私のスマホから着信音が・・・・・・。

緩和ケア施設からでした。内容は

  • 数日前から血の混じった痰が出ていた
  • この日は特に苦しそう
  • 叔父さんから「甥のあなたを呼んで欲しい」

とのこと。

急いで駆けつけると、叔父さんは少しは落ち着いておられました。

唇の周りに拭き取った血の跡が見えます。

ベッド脇のティッシュに鮮明な血がついていました。

叔父さんから、苦しくてスタッフさんに「殺してくれ」と頼んだとの言葉。

声はかすれて聞き取りづらいです。

私は驚きで何も返す言葉がありませんでした。

叔父さんは目を閉じて苦しそうにしていました。

ベッドそばに痰の吸引器が置いてありました。

時間が過ぎるのが、とてつもなく遅いと感じました。

私はそっと部屋を出て看護師さんに話を聞きに行くと

  • 痰の吸引を1回行いました
  • 酸素吸入の手配を準備してます

とのこと。

この施設は緩和ケアが目的ですから治療行為はありません。

スタッフさんから「叔父様が苦しまないように全力を尽くします」と。私は

ありがとうございます。よろしくお願いします

と言って帰りました。

今回の経験から「叔父さんの様態は急変することがある」と、改めて感じたのでした。

では、またね!!

追伸:魔太郎

1月1日の元旦の宮崎は快晴。

 

すると昼前に再びスマホに着信音。

 

発信相手は、なんと叔父さんです。

 

少し元気な声で「新年の挨拶」の電話でした。

 

この日は体調がいいのでしょう。あちこちに電話をしているようでした。

 

叔父さんは気配りのひとです。こちらも

ホッとした気持ちになりました

1月2日に古女房と訪問すると、叔父さんは口数も少なくカラダがだるそうです。

 

スタッフさんから

  • 手足にむくみが出てきました
  • 排尿が少なくなりました

とのこと。

 

私は寄り添うことしか出来ません。

正直、辛いです