おはようございます!魔太郎です。
末期がんの叔父を甥である私がサポートしていく様子を、記録も兼ねて発信しています。
末期がんの叔父を甥である私がサポートしていく記録:その①「突然の連絡」 - 還暦Gちゃんブログ (gblog60.com)
34回目は「叔父さんの告白」です。
緩和ケア施設に入所する叔父さんには、施設のスタッフさんだけでなく外部のひとも係わっています。
その中のひとりに ケアマネジャー さんがいます。
ケアマネジャーとは日本語では 介護支援専門員 と呼ぶそう。
知りませんでした
ケアマネジャーさんの仕事内容は
- 介護保険サービスを利用する際に必要なケアプランの作成
- 利用者とサービス事業者の間の調整
などです。
私とは月イチで打ち合わせがあります。
翌月のケアプランの説明を受けて、サインするだけですけど。
12月の中旬に行われた打ち合わせのときのこと。
説明の前にケアマネさんからお話がありました。
この日は、ケアマネさんは叔父さんとの面会を先に済ませておられました。
そのとき叔父さんは深刻な顔をされて、ケアマネさんに自分のことを話し始めたとのこと。まとめると
- 俺の人生は後悔ばかりだ
- 2回離婚した
- お金を浪費した
- お金を残しておけばよかった
- お世話になった人たちにお礼が出来るのに
- 周りの人に恵まれた
- 周囲のひとが音信不通だった息子に連絡をしてくれて会いに来てくれた
などなど・・・・・・。
叔父さんの現役時代の仕事は、給料がかなり高かったようです。
支給されている年金額は私からみても
かなり良い方だ
と感じましたから。
ところが離婚されてひとり暮らしが長かった叔父さんは、パチンコやお酒が好きでした。
かなり散財しておられたようです。
地元のひとたちも、よく知っておられることです。
でもね、叔父さんはなぜか 周囲のひとが放っておけない性格 をもっておられました。
叔父さんはいつもニコニコして穏やかな性格のひとなんです。
友達もたくさんおられます。
そばに住むお姉さんや近所のおばさんや友達が、何かと世話を焼いてくれているのです。
叔父さんの兄である私の父は、叔父さんの不始末の尻拭いをしたこともあったようです。
そんなことがあっても、周囲から愛されていた叔父さんなんです。
不思議な魅了を持ったひとなんです
でもね、ケアマネに告白された内容を聞いたとき私は
叔父さんの悩みの一部を感じました
では、またね!!
叔父さんの告白のことは、京都で看護師をしている”いとこ”にもLINEで伝えました。
いとこからは「ケアマネさんに自分の心境を話しすることが出来て良かったです」と返信がありました。
緩和ケア施設の目的は、叔父さんが穏やかに最後のときを迎えられるようにすることです。
叔父さんの話を引き出してくれたケアマネさんに
感謝です