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「退院の日」末期がんの叔父を甥である私がサポートしていく記録 その⑱

おはようございます!魔太郎です。

末期がんの叔父を甥である私がサポートしていく様子を、記録も兼ねて発信しています。

末期がんの叔父を甥である私がサポートしていく記録:その①「突然の連絡」 - 還暦Gちゃんブログ (gblog60.com)

18回目は「退院の日」です。

介護タクシーは叔父さんが入院する病院の患者支援センターが手配してくれました。

担当者によると、なかなか見つからず隣町の介護タクシーがやっと引き受けてくれたとのこと。

ところがです。私にはひとつ心配がありました。

それは移動中の叔父さんの痛みのことです。

車椅子の姿勢では 激痛 があるのは分かっていました。

そこで主治医に痛み止めを準備してくれるようにお願いをしました。

主治医は退院までに時間があるので、テストして適正な痛み止めの量を調べておきますとのこと。

次は介護タクシーです。

事情を説明すると介護タクシーに乗せる車椅子は45度までリクライニングできるとのこと。

安心しました

退院日は快晴でした。

叔父さんの着替えは、事前に私と古女房とで ユニクロ で揃えました。

叔父さんの自宅にあるものではなく、少し おしゃれ にしてやりたかったから。

77歳の叔父さんは初めてユニクロの洋服を着たんじゃないかな。

明るい色のカーディガンがよく似合いました。

玄関口に移動すると4人のおじさんたちが見送りに来てくれてました。

退院と宮崎への移動のことは、事前に地元の人たちに伝えていたのです。

叔父さんは「パチンコ仲間だよ」と笑顔です。

そして以前働いていた 渡し船の埠頭 に車を止めると・・・・・・。

ここでも仕事仲間が5名ほど待っていてくれました。

みなさん車の中を覗き込んでお話をしてくれます。

叔父さんを元気づける声も聞こえます。

でもね皆さんは知っておられるのです。

地元を離れて宮崎の施設に入るということは、二度と故郷に帰って来れない ということを。

最後は叔父さんの自宅そばの駐車場です。

ここでは叔父さんのお姉さんをはじめ、近所の人たちが集まっていました。

遠い親戚のおばちゃんが私に「叔父さんは自宅に入らないの?」と聞くので

もう歩けんとよ

と伝えると、詳しい事情を知らなかったおばちゃんは、その瞬間に事情を察して絶句されました。

叔父さんは穏やかにみなさんとお話をされていました。

出発の時間が来ました。

私は病院から預かった痛み止めを叔父さんに飲ませました。

モルヒネ です。

医療用麻薬ともいいます。

粉薬です。

主治医からは「すぐに効くから」と聞いていました。

高速道路を使って約1時間のドライブに万全を期すためです。

おかげで無事に宮崎の施設に到着できました。

今回はここまで。

では、またね!!

追伸:魔太郎

介護タクシーには車椅子の叔父さんの横に小さな座席があり、私が同乗することができました。

 

車は背の高い普通車。

 

介護士の資格をもつ担当者さんの運転は丁寧で、こちらが不安を感じることは全くありませんでした。

 

数名のスタッフさんを雇って運営しているとのこと。

 

料金は通常のタクシーとあまり変わらなかった気がします。