おはようございます!魔太郎です。
末期がんの叔父を甥である私がサポートしていく様子を、記録も兼ねて発信しています。
末期がんの叔父を甥である私がサポートしていく記録:その①「突然の連絡」 - 還暦Gちゃんブログ (gblog60.com)
17回目は「抗がん剤治療を止める」です。
叔父の入院する病院の主治医から、抗がん剤の効果がないことを本人に伝える日が来ました。
小さな会議室に主治医、叔父さん、看護師、私の4人が集められました。
すると車椅子に座っていた叔父さんの様子に変化が・・・・・・。
苦しそうです。
「我慢出来ないほど痛い!」と訴えてきます。
肺がんが腰の骨にまで転移しているので、座った状態では激痛が走るのです。
すぐに看護師さんが、リクライニング出来る車椅子を持ってきてくれました。
シートを45度くらいに倒すと、叔父さんは落ち着かれました。
主治医はパソコンのモニターに映し出された肺のレントゲン写真を、私達に見せながら説明を始めたのでした。
主治医からの説明をざっくりと言うと
- 1クール目の抗がん剤ではがんが小さくなった
- 2クール目ではがんは再び大きくなった
- 抗がん剤の効果がないと判断する
- よって副作用のある抗がん剤治療は止める
といった話が、叔父さんに伝えられました。
叔父さんは取り乱すこともなく「ステージ4と聞いていたので・・・」と、うすうす感じておられたことを話されました。
重苦しい時間が流れます。
誰も喋らない時間が流れます。
私は意を決して
宮崎の施設に行きましょう
と叔父さんに伝えました。
宮崎の施設とは 緩和ケア の施設です。
私は思わず泣いてしまいました。
すると叔父さんは「よろしく頼む」とひと言。
その場で退院と宮崎への施設への移動日が決められたのです。
1週間後に決まりました。
では、またね!!
介護タクシーの手配をする中で、叔父さんより要望がありました。それは
「宮崎へ行く前に故郷を見てから行きたい」とのこと。
叔父さんの故郷は宮崎県南部の小さな港町です。
叔父さんはそこで遠洋漁業のカツオ船に乗っておられました。
定年後は港から近くの離島を往復する小さな渡し船の仕事もされていました。
介護タクシーの方に相談すると、快く引き受けてくれました。
この話を京都で看護師のいとこに伝えると「よくあるケースだよ」とのこと。
出来る限りのことをしてあげよう
と私は誓ったのでした。