おはようございます。魔太郎です。
肺がん末期の叔父の介護を引き受けたのが令和6年9月のこと。
介護の様子はこちらから。
末期がんの叔父を甥である私がサポートしていく記録:その①「突然の連絡」 - 還暦Gちゃんブログ (gblog60.com)
叔父が令和7年1月に亡くなり、介護の経験からの気づきなどをお伝えします。
第7回は、介護で辛かったことについてのお話です。
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「肺がん末期の叔父の介護をしてくれないか」と打診されたのは令和6年9月のこと。
離婚して独り暮らしの叔父は3兄姉の末っ子、長兄が私の父になります。
順番通りに亡くなれば私の父が先ですから、叔父の最後はいつか
私が引き受けることになるだろう
と思っていたので、断る理由はありませんでした。
いま叔父の介護、看取り・葬儀を経験して感じることは
介護は辛かった
ということです。それは
- 自分の時間が奪われる
- 衰弱していく叔父を見ていく辛さ
- 施設からの緊急連絡
です。それでは、ひとつひとつ説明していきましょう。
1.自分の時間が奪われる
叔父は最初、田舎の病院に入院していました。手帳をみると1カ月で7回訪問していました。
病院へはローカル線の電車で片道約2時間。
主治医との打ち合わせが毎回のようにありましたから、平日に有給休暇をとって通いました。夕方帰宅後は
- 親戚に叔父の様子などをLINEで報告
- 抗がん剤治療を継続するかしないかを看護師のいとこに相談
- 退院後の受け入れ施設の手配と打ち合わせ
などなど、叔父のことでいろいろやることがたくさんあります。
11月に緩和ケア施設に入所したあとは
- 週2回の訪問
- 空き家になった自宅のガスや電気を止める手配
- 叔父の支払い関係の整理
- 叔父の財産(とくにお金)の確認作業
などなど、これまたやることが
てんこ盛りです
私は平日昼間は仕事ですから、帰宅後に作業をしていました。
つまりね、介護を引き受けると自分の時間がことごとく奪われます。
仕事も溜まっていきますし
自分は何をしているのだろう
と、思い悩んでいました。
2.衰弱していく叔父を見ていく辛さ
叔父は緩和ケア施設に入所しましたから、積極的な治療はしていません。痛みをモルヒネで緩和するぐらいです。
ときどきは せん妄 といって幻覚のような症状が出ていました。
食事が摂れなくなってからは、みるみる痩せていきました。
目や頬は落ちくぼんでいきます。
亡くなる4日前からは酸素マスクをして、ゼイゼイと荒い呼吸をして横たわっていました。
その頃からカラダには むくみ が出ていました。叔父を直視するのが
苦しかったです
3.施設からの緊急連絡
緩和ケア施設に入所して10日ほどすると、叔父の様子が急変すると施設から私の携帯に連絡が入るようになりました。たとえば
- 強めのモルヒネを処方したら血圧が低下した
- 夜中に幻覚をみて暴れた
- 勝手にベッドから起きて転倒した
などなど。
叔父が施設に入所していたのは約2カ月でしたが、緊急連絡は10回以上ありました。
ですから、携帯を離さず持っていましたし、「施設からの電話があるのでは」とびくびくしていました。
眠れない日が続いたので、かかりつけ医に相談して 睡眠導入剤 をもらって毎日飲んでいました。
いまは納骨も終わりましたから、介護のストレスはありません。
ゆっくりとした自分の時間を持てることが
とても幸せです
次回は、介護を引き受ける勇気のお話です。
では、またね!!
私自身、介護がこんなに大変だとは
全く思っていませんでした
そして介護の辛さというのは、経験したひとでないとなかなか理解してもらえないと思います。
私には90を超えた両親がいます。まだふたりで生活していましが、いずれ介護が必要になるでしょう。
その前に 認知症 が出てくるかもしれません。
これから、認知症の勉強を少し
始めようかな?