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おはようございます。魔太郎です。
肺がん末期の叔父の介護を引き受けたのが令和6年9月のこと。
介護の様子はこちらから。
末期がんの叔父を甥である私がサポートしていく記録:その①「突然の連絡」 - 還暦Gちゃんブログ (gblog60.com)
叔父が令和7年1月に亡くなり、介護の経験からの気づきなどをお伝えします。
第5回は、看取りの瞬間の立ち合いの是非についてのお話です。
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看取りとはざっくりいうと「ひとが亡くなるまでの過程を見守ること」です。
今回のテーマは 看取りの瞬間 ですから、ひとが息を引き取る瞬間のことと理解してください。
看取りの瞬間のことを「死に目に会う」ともいいますね。この表現のほうがわかりやすいでしょうか。
私の叔父の事例で説明しましょう
叔父は肺がん末期で治療を中止して、緩和ケア施設に入所していました。
残りの時間を穏やかに過ごすことが目的の施設です。
広い個室にテレビ・冷蔵庫・収納タンス・エアコン・洗面所が完備されていました。
治療はしませんが、がんの痛みには訪問医の指示で看護師よりモルヒネ(医療用麻薬)を使っていました。
施設に入所して2カ月が過ぎた頃です。叔父が食事が全く摂れなくなり数日が経ちました。
施設より「血圧の低下が見られ酸素濃度の測定も出来なくなりました。来てください」との電話がありました。
急いで駆けつけると叔父は酸素吸入をしながら眠っていましたが、呼吸はゼイゼイとかなり荒くなっていました。
看護師より「会わせたい人がいれば、会わせてください」と言われました。
それから2日が経過し3日目の午前10時でした。
施設より「一度呼吸が止まりました。すぐに来てください」との連絡。
叔父は酸素マスクをつけていましたが、顎を上げてゼイゼイ言わせながら呼吸しています。
訪問医がきて「あと数日かも」と言われました。
その時の叔父は、目をしっかり開いて天井を見ています。
叔父は話は出来ませんが、こちらの声は聞こえているように感じました。
駆けつけた親戚たちと交代で遅い昼食をとったり休憩したりしていました。
施設に到着してから4時間以上が経過すると、私も親戚たちも疲労しているのがわかります。
私は64歳、叔父の姉は81歳です。叔父の兄である私の父は91歳です。なんとか精神力で頑張ってきましたが
このままではこちらが持たない
と感じたので、一旦施設を引き上げる決断をしたのです。
叔父は相変わらず目をしっかり開いて天井を見ていますから「その時」はまだ先になると感じたのです。
親戚たちも田舎から2時間かけて電車で来ていましたから疲れているはずです。
私は親戚たちを駅に送り、古女房と夕食の買い物をするためにスーパーに立ち寄っていました。
施設を出てから1時間が過ぎたころです。施設から電話がかかってきました。
「いま呼吸が止まりました」とのこと。
まさかと驚きました
だって1時間前までは、そんな雰囲気は微塵も感じられなかったのですから。
このような状態でしたから、叔父が息を引き取る瞬間には立ち会うことができませんでした。
でもね、私を含め途中の駅から引き返してきた親戚たちも、立ち会うことが出来なかったことを悔やむ感情は無かったと思います。
それは叔父が緩和ケア施設に入所してから私は週2回のペースで訪問していましたし、親戚たちも何度も施設を訪問してくれていましたから。
よくテレビドラマなどでは「間に合わなかった」なんて悔やむ場面があります。
でもね、それって
ドラマを盛り上げる演出かもしれない
と、今ではそう思います。大事なのは
「看取りの瞬間に立ち会わないといけないという思い込み」に囚われすぎないことだと思います。
私の個人的な意見です。あしからず・・・・・・
次回は、お葬式がすぐに出来ない!です。
では、またね!!
叔父の介護を引き受けてから、私は終末期のことなどが書かれた本を数冊買いこんで読んでいました。
そのなかに後閑愛実(ごかん めぐみ)さんという看護師さんが書かれた本があります。
後閑さんは1000人の看取りに接した看護師さんです。
その本のなかに「死に目に会う」ことについての一節があります。
結論だけ引用しますね。
大事なのは、息を引き取る瞬間に立ち会うことではなく、それまでどんな関係性を築いてきたかです
興味のある方におススメの本です。