おはようございます。魔太郎です。
肺がん末期の叔父の介護を引き受けたのが令和6年9月のこと。
介護の様子はこちらから。
末期がんの叔父を甥である私がサポートしていく記録:その①「突然の連絡」 - 還暦Gちゃんブログ (gblog60.com)
叔父が令和7年1月に亡くなり、介護の経験からの気づきなどをお伝えします。
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叔父は離婚してひとり暮らしでした。77歳。
叔父には姉と兄がいましたが、ふたりとも高齢だったので甥の私に話が来たわけ。
今回は「介護を引き受けた時に最初に気になったこと」についてお伝えします。
介護を引き受けて一番最初に気になったのは
お金のことです
病院の治療代や亡くなられたときの葬儀代などの支払いに、まず必要なのはお金です。
具体的には年金の額と預貯金の額のことです。
ところがです。
叔父が当時入院していた病室は6人部屋。カーテンで仕切られていたとはいえ、生々しい話をするのは気が引けますし、いきなり叔父にお金のことを聞けない雰囲気があったのも事実。
ですが避けては通れないことです。そこで2回目の面会時に
支払いの管理をするので通帳のコピーを取らせてください
と、やっとのことで話をしたのを覚えています。
病院の売店で通帳のコピーを取るのにも
ドキドキしたのを覚えています
悪いことをしているわけではないのですが、叔父の病気のことよりもお金のことを気にかけていることの罪悪感でしょうか。
まずは2カ月ごとに振り込まれる年金額の確認をしました。
叔父は遠洋漁業の漁師をしたあと、転職してタンカーの船員をしておられました。
タンカーは一度出港すると数カ月は船での生活が続きます。
ですから、かなりの給料をもらっておられたのは想像できました。
なので年金額も厚生労働省が発表している平均額よりも多かったです。
ひと安心しました
というのも、病院から抗がん剤治療の1クールが終わたら退院して2クール目は通院でと言われていたから。(1クールは約3週間)
当時の叔父は足腰が立たない状態でしたから、とてもひとり暮らしはできません。
ですから次の受け入れ施設の費用のことを心配していたのです。
そして次は通帳残高を確認。
ところがです。通帳の残高はそれほどではありませんでした。お葬式をしたらほとんどなくなってしまう額です。
これには困りました。
叔父はひとり暮らしでパチンコしたり友達と酒飲みしたりと、気ままに生活していましたから当然といえば当然ですけど。
ただ年金額と現在の預貯金額を確認できたので 一歩前進 できました。でもね
気を使ったので疲れましたよ
次回もお金にまつわるエピソードになります。
では、またね!!
私には両親が健在です。二人とも90歳を超えていますが。
でもね、年金額や預貯金をどのくらい持っているかは
まったく知りません
読者のみなさんはどうなんでしょうか?